うちの猫は、女房子供に会いに行ったはずなのに

どんよりとした暗雲を背負って帰ってきた。

しかもたった一日でだ。


「どうしたんだ?」

「すみません・・・・。」


さっきから、何があったのか聞いても

「すみません。」しか言わない。


「歳と喧嘩でもしたのか?」

「・・・・・すみません。」


図星か。

あんなに仲がいいふたりなのに、喧嘩するんだな。

つがいになってからは喧嘩もしないどころか

見てるこっちが恥かしくなるくらい、仲が良かったのにな。

一体何があったんだ?

のぶに聞けば、歳がやたら怒っているらしい。

まさか、こいつ、たまと・・・・?


「浮気がばれたか。」

「う・・・浮気なんてしてません!」

「じゃあ、何で歳が怒ってるんだ?」


歳はわがままだが、筋の通らないことはしないやつだ。

総司を追い出すくらい怒ってるとなると、ただ事じゃねえ。

さっさと洗いざらい白状して、謝ればいいものを。

しょんぼりとしている総司の頭を撫でて、まだまだこいつもガキだと思った。


「良かったら力になるぞ。それともふたりで解決するか?」


今は、まだ整理がつかない。

自分のことすら、良くわからないんだから。

もう少し待ってくださいと、そう言うだけで精一杯だった。
















「歳ったら、ご飯くらい食べなさい。」

「ん・・・・。」


食欲なんか、ある訳ない。

だけど、のぶ姉や、子供達が心配してしまうから

仕方なく口にした。

やっぱり、一口、二口で止まってしまう。


「にゃー。」

「かーにゃ、まだいたい?」

「・・・・ん?痛くねえよ。大丈夫だ。」

「ほら、ふたりとも心配してるじゃない。」


わかっているけれど、食べることができない。

それに、ふたりは総司に似てるから、つい思い出してしまう。

子供に罪はないのに、馬鹿だ。

だけど、俺ひとりだったら、きっとどうしようもなかった。

のぶ姉や、子供がいるから、元気にならなきゃいけないと思う。

でも・・・・・。


「ほぉら、あんたがそんな顔してるから、子供たちも困ってるでしょ。」


子供達は、何が起こってるかわからないのに、それでも何かを感じて

俺の傍で、ずっと様子を窺っている。

俺ぁ、今まで一人になりたいなんて、思ったことはなかった。

のぶ姉とはウマが合うし、ガキもうるさいけど、可愛い。

だけど、今は一人になりてえ。

こんな顔しか見せられない自分がイヤだ。


「もう、歳ったら、落ち込まないの。」

「・・・・ああ。」

「よしよし。ふたりとも、お姉ちゃんのところに、いらっしゃい。」


のぶ姉がふたりいっぺんに、子供を抱き上げた。

不安いっぱいの子供達は、のぶ姉に甘える。


「まさか、総ちゃんが浮気だなんてねえ・・・・。」


信じられないわ、とのぶ姉が溜息をつく。

総司を帰すことになって、訳を話さない訳にはいかない。

だから、のぶ姉も事情を知っている。


「俺の思い過ごしなのかな・・・・」

「でも、総ちゃんは否定しなかったんでしょ。」


そうだ。

謂れの無いことだと、怒ってくれれば良かった。

適当なこと言って、嘘でもついてくれれば良かった。

騙し通してくれれば良かった。

そして、もうしないって思ってくれたら・・・・。

そしたら、1回くれえは許してやっても良かったのに。






















「はぁ・・・」


何度考えても、あの時の自分の行動の心理はわからない。

外を眺めていても、景色を映すだけで、何の感想も出ない。


「なぁにやってんのよ。」


たまが顔を覗き込んだ。

距離が近かったから、思わず焦って飛びのいた。


「相変らず失礼ね。」

「ごめん。いきなりだったから、びっくりして・・・」

「なによ、えらく弱気じゃない。」


誰のせいだよ、と少し恨めしく思ったけれど

たまは関係ない。

ただの八つ当たりだ。

それより・・・・・。


俺は、本当にたまが好きになったんだろうか?

じっと、たまの顔を見る。


「なによ?あたしの顔、何かついてる?」

「いや・・・・何でもないよ。」


・・・・・やっぱり、俺が好きなのは、歳さんだ。

たまは可愛いし、魅力もある。

それでも、俺は歳さんがいい。


「奥さんに振られたんでしょ。」

「う・・・そ、そんなこと、ないよ・・・」


いきなり核心を尽かれて、心臓が跳ねる。

強く言えない俺を、たまがにやりと笑った。

女の子って、どうしてこう、勘がいいんだ?


「所詮、その程度なのよね。」


その程度・・・・・って、何だ?


「些細なことで揺らいで壊れる。」


些細なこと・・・・そうかもしれない。

でも、まだ壊れてない。

俺が馬鹿だから、揺らいでしまった。


「あんたって、ダメなオトコね。」


ぐさりと突き刺さる、たまの言葉。

今日は何も反論できない。

言われなくてもわかってる。

大事なものを自分で傷つけた、大馬鹿だ。

俺は、どうしたらいいんだろう・・・・。




















総司は、奥さんと喧嘩して、すぐに帰ってきていた。

しけた顔して、落ち込んでる。

あたしの呪いは、てきめんなんだから。

ホントに馬鹿なオトコ。

何もしなかったくせに、どうやって喧嘩になるのかしら。

あたしを拒んだ罰ね。

それとも、あたしを好きになったのかしら。

ちょっと期待してしまったのに

近付いてもそれらしい反応はないから、そうじゃないみたい。

ますます馬鹿ね。

喧嘩の原因は、なんとなくわかる。

適当に言いくるめてしまえば良かったのに。

こいつの、そういう生真面目さは、返って傷つくのよね。

あたしのせいにしてしまって、有耶無耶にしてしまえばいいのに。

だけど、総司は、あたしを責めない。

まぁ、あたしのせいにしたりする男なら、興味も湧かなかったけどね。

しょげている姿が、ほんのちょっと可哀想だけど

でも、助けてあげない。

自分で見つけなきゃ、意味ないでしょ。

あんたの好きなもの、誰が言っても変えられないのなら。

ねえ、総司?























その夜、近藤さんの晩酌に付き合いながら、どうするか聞かれた。

たまとちえさんが寝静まったあと、そろそろ頭が冷えたろうと

歳さんとのことを、聞かれた。

少し躊躇ったけれど、近藤さんにも迷惑をかけてしまってるし

訳を話さないといけないと思う。

だけど・・・・。

怒ってないのかな。

勝手なことばかりして。

自分の都合ばかりで。

俺じゃあ相談相手にならねえかもしれないけど、話くらいは聞いてやれる。

そう言ってくれたから、今までのことを、頭の中で整理しながら話した。

近藤さんは、俺が話すことを、気長に、黙って聞いてくれた。

上手くいえない感情も、俺なりに伝えたつもりだ。

近藤さんは、じっと考えて、そして、口を開いた。


「なぁ・・・・。」

「はい。」

「俺が思うに、おめえは他の女に心が動いたことを、歳に申し訳なく思ってるだけなんじゃねえか?」


そうだろうか。

情けないことに、俺は、少し揺らいでしまった。

何があっても歳さんだけだと、偉そうな事を言っておきながら。

たまのことを気にしてしまった。

たまに対する気持ちは、自分でもよくわからない。


「だから、顔もまともに見れなかったんだろ?」

「そう・・・・かも・・・しれません。」

「おめえは、歳のことになると、からきしだな。」


馬鹿だなぁ、しょうがねえなぁと、近藤さんが笑う。


「たまを好いてる訳じゃなくて、ちっとぐらついただけじゃねえか。」


そうかな。

そうかもしれない。

だって、俺が好きなのは、ずっと歳さんだけだから。

それは、今も変わってない。

それなのに、あんな態度をとってしまった。

歳さんに、辛い思いをさせてしまった。

情けない気持ちでいっぱいだ。

こんなに後悔してるのなら、近藤さんの言うとおり

歳さんに申し訳ないって思ってしまっただけなのかな。


「べそかくなよ。おめえは親父だろ。」

「はい・・・。」


目が熱い。

じわりと視界が滲んできて、俯いた。


「俺だって、もし彼女がいたとして、それでも好きだって、他のの女に
言われたら嬉しいもんなぁ。」


そんなことは滅多にねえけどな、と、近藤さんが笑った。

太陽みたいな笑顔が、何でもないことみたいに言う。

泥を含んだみたいに重かった胸が、少しずつ軽くなってくる。


俺は、何やってるんだ。

近藤さんの言うとおりじゃないか。

どうして自分でわからなかったんだろう。

大事なもの、無くして、ようやく気付くなんて。


「おめえは歳にベタ惚れだから、そんなことでも罪悪感持っちまったんだな。」


胸が詰まって、返事ができなくて、黙って俯いたら

よしよしと、子供みたいに撫でられた。

大きな手が、少しずつ、混乱した気持ちを解きほぐしていく。


近藤さんは、どうして俺のことがわかるんだろう。

近藤さんが飼い主で、良かった。

近藤さんに拾われて、良かった。

俺は、自分のことだけ考えてばかりなのに、ちゃんと見ててくれている。

寂しい思いばかりさせてしまっているのに、こんな俺にも優しい。


「明日、またのぶんとこ連れてってやるから、ちゃんと歳と話せ。」

「あ・・・りがとうございます・・・。」

「馬鹿、水臭えな。お前は俺の家族だ。気にするな。」


あったかい手は、いつも優しい。

俺は、沢山のひとに大切にされている。

近藤さんに。

のぶさんに。

子供たちに。

歳さんに。



出逢った時から、ずっと好きだった。

艶のある毛並み、青と緑の目、長いしっぽ。

綺麗な白猫の歳さん。

あの優しい腕に抱き締められて、「しょうがねえ奴だ」って言って欲しい。

馬鹿な俺を、もう一度、許して欲しい。

勝手な願いだとわかってるけど、それでも・・・・・傍にいたいんだ。



「よし、今日は飲め飲め。」


そう言って、近藤さんが勧めてくれた酒は

辛口で、どこか苦かったけど、ほんの少し甘かった。